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【いま、語る関西人国記】関西マルチメディアサービス社長 原格さん(60)  (産経新聞)

 □(2)技術者の原点

 ■「自ら考える」が指針に

 関西電力で光通信の可能性を知り、猛勉強。光ファイバーを使った回線の実用化などを手がけた。学生時代に学んだ電気工学とは違うジャンルとなる通信事業との出合いが、その後の人生に道を開いた。

                   ◇

 大阪・岸和田生まれの岸和田育ちです。もう離れることはないでしょう。「だんじり」は必ず参加。関電時代も会社を休んで参加していました。生活の一部になっていますね。

 幼いころから理科と算数が大好き。大学は理系を選びましたが、高校卒業後も微分積分を続けたいというのが理由だったくらいです。科学者になりたいと思っていました。

  

 ≪昭和44年大阪大学入学。学園紛争の真っ最中で入学したもののキャンパスは封鎖中で、年末まで大学に通えなかった≫

  

 大学に行けない間は、ボランティアで小学生などのキャンプを手伝うカウンセラーに没頭しました。夏は海、冬はスキー。自然も大好きでしたから。海外から同年代の青年が集う、インターナショナルキャンプにも参加しました。

 本格的に学問をしたと思えるのは、大学院に進んでからです。指導教授がユニークでした。最初に言われたのが「1年かけて自分がやりたいテーマを見付けなさい」。何をやるのかまったく指示されませんでした。

 この経験は、未知の分野の技術開発に挑戦する際に役に立ちました。課題や解決方法を自分で見付ける。自ら考えるプロセスを大事にする手法だからです。

 例えば、実験でこの材料を配合したらこんな現象が起こるよ、と教えてもらったら、あとは配合状況を変えながら実験していけば“正解”にたどりつきます。しかし、考える力は付きません。社会人になってから前例のない問題に何度も遭遇しましたが、落ち着いて考えられるようになりました。

 大学院では、当時出始めの技術だった「人工知能」に取り組むことにしました。ロボットの動作を人間のような繊細な動作まで再現し、円滑に制御する方法に関する研究です。将来は二足歩行ロボットの製作も夢見ていました。

 就職は電気工学を学んだこともあり、関電を志望しました。父が岸和田市長に就いたこともあり、地元で手助けできればとの思いもありました。大学院で学んだ、自ら考える姿勢は、分野が違っても私の指針になりました。(内山智彦)

                   ◇

【用語解説】関西マルチメディアサービス

 平成10年、関西電力などが出資して設立したインターネット接続事業会社。関西一円で、ケーブルテレビ(CATV)局のネットワークを活用したインターネット接続サービスを展開する。ブランド名は「ZAQ(ザック)」。昨年12月末時点の加入者数は約57万世帯。18年、CATV最大手のジュピターテレコムが筆頭株主となった。資本金4億8000万円。従業員約110人。

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